「通信三田会」の組織が結成されて、まもなくの昭和40年代に入ると、各地域の通信三田会が結成され始めました。会報第2号では初代組織部長を担当した坂入洸(38経)君が各地域の結成状況を報告しています。昭和42年の第3号では、会の中心課題として会長が地域通信三田会結成の呼びかけをしています。そして、それぞれの地域が抱えている問題をどう解消していくか、お互いに支援し合っていこうと、模索を始めています。
三田会は大別すると、次のように分けることができます。
@ 年次三田会
A 地域三田会
B 職域三田会
C その他の三田会
これらが集まって「連合三田会」を構成しています。最近の加盟三田会数は800団体を優に超えています。
卒業年次ごとにOO期三田会と呼ばれる同期会が、卒業式のときに結成されます。それが塾員になって最初に加入する横断的な三田会です。
地域三田会は全国各地に根ざす、卒業年次を超えた同じ地域の塾員仲間で構成する縦の三田会になります。日本国内だけでなく海外にも広がっています。
職域三田会は職業別や事業所ごとにつくる三田会。職種の横断的組織と、事業所内の縦断的組織といえます。
その他の三田会は趣味を軸に、スポーツ関係は体育会系の塾員がOBとなって構成しています。また、それ以外の諸々の名前を持つ珍しい三田会もあります。
毎年秋に行われる連合三田祭は、これらの三田会が合同で1日を楽しむ社中協力の一大行事となっているのです。
通信塾員がつくる三田会は、通信教育課程で卒業した塾員が、それぞれの要望で仲間づくりをしています。「通信三田会」は、全国の通信塾員を対象にして組織化した団体で、永続的な活動を目的に展開しています。
似た存在で、新塾員からはどういう組織の違いかわからないなどと、ときどき説明を求められることもあります。地域通信三田会は一般に都道府県単位の地域で構成される通信塾員の三田会となっています。地域の分け方はそのときどきの事情で違ってきますが、塾生時代の慶友会が背景になって構成される場合もあります。
いずれにしても、それぞれが独立した運営体として活動しています。地域通信三田会が連合三田会に加盟しているかどうかは、その団体が加盟登録をしているかどうかによって決まります。
「通信三田会」ができた当初は、全国的に散在する塾員をまとめることによって、通信塾員をつなぎ合えるという事情があったと推察しています。それが次第に地域に展開して、新しい通信三田会が順次できてくるだろうという経過措置的な発想があったと思われます。そのような事情からなのか、人によっては本部と支部のように誤解する向きもありますが、完全に各々が独立した活動をしている組織体なのです。
当初は、全国を北海道、東北、上信越、関東、近畿、中国、四国、九州沖縄の8ブロックに分け、地域代表が参集する場合に費用負担が大きいため、通信三田会が交通費の一部負担をしていました。とにかくお互いに知恵を絞って協力し合う関係だったのです。
「地域通信三田会代表者会議」は、通信塾員が共通した問題を話し合っていこうと、という発想から相互協力の場として提案され、実施されてきました。年に一度の夏期スクーリング時に日程を合わせたり、秋の連合三田祭に参加するときなどに、日を選んだりして交流をしてきました。回を重ねるにしたがって、地方の間でも合同会議が行われるようになってきました。別表のように初期の段階では出席する団体数も出席者数も少なかったのですが、地域通信三田会の結成数が増すにしたがって、討議内容も次第に充実してきました。通信三田会も、地域の通信三田会もこのように協力し合って今日の礎を築いて来たのです。
平成年代のはじめ、「通信三田会」の見直しがタスクフォースによって検討された際、現在の「全国通信三田会」の構成基盤ができました。その結果、「地域通信三田会代表者会議」は発展的に解消され、地域の代表者が全国の単位体幹事として、定例幹事会の運営に参加することになりました。現在では、全国ほとんどの地域に通信三田会が結成されて、春秋の幹事会に代表者が顔をそろえ、話し合いの場を持てるようになってきました。
地域通信三田会代表者会議開催 一覧表
回 |
年月日(和暦) |
場所 |
地域数 |
議事項目 |
1 |
1974(49)/8/17 |
塾通信教育事務局 |
13 |
♦若林会長の挨拶と会開催の趣旨説明 ♦放送大学について ♦松田前会長が結成以来の活動報告 ♦地域通信三田会との関係 |
2 |
1976(51)/8/14 |
塾通信教育事務局 |
10 |
♦通信教育開設30周年に当たって、通信教育のあり方について ♦活動情報相互交換 |
3 |
1977(52)/8/20 |
塾通信教育事務局 |
9 |
♦地域通信三田会の現状
♦塾生奨学金援助について ♦ユニコン賞の説明と地域通信三田会に推薦を依頼 |
4 |
1978(53)/8/30 |
東京三田・むらい |
9 |
♦昭和53年度評議員選挙(毛利松平君推薦)の説明 ♦通信教育開設30周年記念パーティに参加 |
5 |
1979(54)/8/25 |
塾通信教育事務局 |
8 |
♦組織の強化策について ♦塾員名簿作成について |
6 |
1980(55)/8/16 |
東京目黒・みやこ荘 |
6 |
♦通信教育学生の減少対策について |
7 |
1981(56)/8/15 |
東京虎ノ門・農林会館 |
5 |
♦放送大学開講内容の説明 ♦地域活動の実践方法の討議 ♦今後の地域代表者会議について |
8 |
1982(57)/8/7 |
京都サンフラーワホテル |
8 |
♦松田奎吾君の評議員選挙推薦と選挙活動について ♦澤田允茂教授の講演会「人間についての科学」 |
9 |
1983(58)/8/6 |
東京・京王プラザホテル |
9 |
♦地域の充実はどうすればよいか ♦急いで無理をしない ♦名簿を整理し活動の基本に! |
10 |
1984(59)/8/4 |
東京・京王プラザホテル |
8 |
♦地域活動の具体的事例の報告 ♦今後の開催地について ♦情報源として「慶應通信」の配布を通信教育部に依頼する |
11 |
1985(60)/6/15 |
茨城つくば・大野屋 |
8 |
♦次期評議員選挙、 ♦地域活動の具体的事例の報告 ♦大阪講演会の企画
♦万国博覧会見学 |
12 |
1986(61)/6/7 |
大阪天王寺・なにわ会館 |
10 |
♦組織会員を増やすには?! ♦27期評議員選挙について |
13 |
1987(62)/8/29 |
東京港区・仏教伝導会館 |
11 |
♦松田奎吾会長急逝による会長代行に松田信俊君就任とその説明 |
|
1988(63)/6 |
|
|
♦当年度の開催を中止、アンケート調査を実施 |
14 |
1989(01)/9/30 |
仙台ガーデンパレス |
16 |
♦仮称学習相談について ♦地域活動の報告・通信制大学院の要望 ♦可児弘明教授講演会「中国をどう理解するか」 |
15 |
1990(02)/10/13 |
東京目黒・みやこ荘 |
10 |
♦会活性化への提言(タスクフォースで検討) |
16 |
1991(03)/5/11 (春の幹事会) |
東京目黒・みやこ荘 |
12 |
♦湘南キャンパス植樹および塾員名簿データベース化募金の報告 |
(注)平成3年5月11日の幹事会で規約改正が承認されて、以後「地域通信三田会代表者会議」は
幹事会に併合されました。
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