大久保 祐孝(38経)
1.
通信三田会組織結成の背景
1) 慶友会、連合慶友会の誕生
昭和22年慶應義塾にわが国最初の大学通信教育制度が開設された。この制度発足の折「集団学習に関する規定」を発表し、集団学習法(グループ・システム)の推奨とクラス(慶友会)のあり方、必要性が打ち出されました。
この方針を受けて昭和23年5月、塾南三田クラスが結成されたのをはじめ、次々と地域、職場でクラスが結成され、塾側も塾生側もクラスの運営に試行錯誤を繰返しながら慶友会が育っていきました。
科目試験、スクーリングへの参加塾生間の交流などから、各慶友会間の情報交換に進展し、昭和28年8月「クラス会の横のつながりを!」の声となり、クラスの連合体組織の発案となりました。「慶應通信」第67号に「クラスの全国連合体結成に乗り出す。名称 全国慶友連合会(全慶友と略称)」と掲載されています。
しかし、クラスは結成されたが「横のつながり」としての全国慶友連合会の活動は、夏期スクーリング時にこそ活動があるものの、それ以外は散発的な活動にとどまっていたようです。昭和31年に至って、やうやく「連合慶友会」として全国的な組織が生れました。
2) 通信三田会の誕生
昭和27年3月、通学課程の卒業生と一緒に通信課程第1回目の卒業式が行われ、34名の塾員が誕生しました。通信三田会報創刊号の記事によると、当時の通信教育事務長加藤元彦氏の寄稿文として「式場で全卒業生により卒業年度三田会が結成された。その後に催された通信卒業生と学校側との卒業祝賀会の席上、誰言うとなく、われわれは今日から塾員となったのであるから、社中の一員として、一般塾員と共に手をとって慶應義塾の真価を高めることに努力する覚悟をきめた。しかしあのテキストによって学ぶことの苦しみ、スクーリングの楽しさは通信教育の卒業生ならでは知ることができまい。この気持ちをいつまでも忘れないためにも、一般の三田会員であると共に通信教育卒業生だけで何等かの機関を設け、お互いに連絡し合うことにしたいという議が起こって全員が賛成した。通信三田会という名称も既にその時つけられたように思う」(通信三田会報創刊号昭41.10.1)。
初年度の会長は若林輝彦君が当たることとなり、年度会費を500円と決めた「慶應通信」第50号(昭27.5.1)。
第2回卒業式以降も、新卒業生一同相談のうえ年度三田会のほかに年度通信三田会が結成されました。その後も年度通信三田会は卒業式当日結成されましたが、卒業時に会がにわかに生れはしたものの、その後は幹事等の事情もあって、会活動があまりなされない状態で推移する会もありました。ましてや各卒業年度の会を包含する組織として会活動をするには至らず、それぞれの連絡も薄かったようである。
2.
通信三田会の再興
昭和35年の秋在学中に、連合慶友会のクラス活動をリードしてきた芳村英治(36経)君たちが来春卒業するに際して、「通学課程にある卒業記念アルバムが通信課程にはない」という話が持ちあがったのをきっかけとして、通信教育卒業準備委員会(卒準)と連合慶友会(連慶)が協議しました。卒業予定者への働きかけは卒準が、実務面は連慶が担当して「先輩に卒業アルバムを!」という活動が開始された。今までアルバムは出ないものと思っていたことが、塾、卒準、連慶、写真館などの協力で第1号卒業記念アルバムとして完成を見ることとなりました。
慶友会(クラス)や連慶の委員として、慶早戦学生応援席入場券の入手、大学図書館を利用する場合、私たちのみに課せられていた入館許可証の制約等をクラス代表として、塾長はじめ塾当事者といろいろな機会をとらえて通信塾生の地位向上へ努力してきた慶友会と連慶の活動実績に、このアルバムの1件が契機となって、塾の連慶や慶友会(クラス)に対する目線に変化の兆しがあったように感じられました。
そして、昭和38年3月の卒準は、昭和36年と37年卒業の連慶他OB有志を取りこんだ。さらに昭和27年入学し、いろいろな曲折で卒業がのびのびとなっていて、慶友会および連慶のクラス活動に情熱を燃やした松田信俊(38経)君が、新しくメンバーに加わって、今までにない前向き集団が誕生しました。
昭和38年3月25日卒業式後、104年三田会と104年通信三田会が結成され、各年度の通信三田会を縦断した通信三田会の組織の確認と、秋の連合三田会大会当日に日吉会場に通信塾員の参集を決議しました。これまで約10年開店休業に近い状態を続けてきた「通信三田会」が、松田君はじめ各地慶友会および連慶で培ってきた通信塾員により会組織結成への揺さぶりが、この時から始まりました。
昭和38年11月8日、連合三田会大会日の当日、私たちは日吉グリーン食堂に集まり再会を祝し、懇親会が開かれました。この日の会には来賓として当時の加藤事務長、菅原教務課長、伊東岱吉経済学部教授、西岡秀雄文学部教授、白神、小宮山さんなどのご出席がありました。多数の会員の出席をえて席上、出席会員より「今後連合三田会大会当日、日吉で集まること」、「通信三田会再興の件」の動議が提出され、多数の会員の賛同を得て、とにかく「通信三田会再建」に向けた小さな一歩を踏み出すことになりました。
会の基本方針は次のように決定されました。
@
通信三田会は第1回卒業生によって昭和27年3月すでに誕生している。
A
会は地方の組織を基盤に固めてゆく。
B
地方在住の人々の意見も統一的組織の実現を期待しているので、参加を呼びかける。
C
通信教育事務局も、通信三田会の実現を期待している。
D
当面は連合三田会大会当日、日吉に集まり懇親会を開く。
昭和40年11月、連合三田会大会当日、日吉会場での通信三田会懇親会の席上、松田信俊君を会長とする役員が選出されました。
しかし、財政上の制約もあって会活動は依然「通信三田会もどき」を出ず、会としての内容が整い全国的規模の活動ができるようになるのには、これからさらなる歳月を要しました。
3.
活動概要
昭和38年の春、卒準メンバーとして松田信俊君、坂入洸(38経)君などと一緒に通信教育事務局と協議することが多くなったある日、事務局の方から「実は、ここ数年間の年度通信三田会から、卒業時の年度三田会費をふくむ会計上の残金を事務局に預けられたまま、責任者から何の音沙汰も無く、なしのつぶてという状態の現金を保管させられていて、その取扱いに困っている。あなた方の通信三田会で引き継いでいただけないか?」と申し込まれました。その頃は、その年度の通信三田会の会費と卒準の余剰金が会活動資金のすべてという、まさに自転車操業の時代でした。きちんと会活動に使うのだからということで、その2〜3年分の資金を拝受いたしました。
財務の面は、毎年卒準業務の一部をバックアップして頂く卒準の僅かな余剰金と、卒業年度の通信三田会からその年1回限りの会費収入、そのほかは篤志家OBというお人よしの人たちからの寄付が収入のすべて。会の財務は大変心もとない財布の中身でした。したがって会活動を何もしないと黒字。しかし、年々卒業生の累積数は増加しますので連絡通信費だけでも毎年支出増加が避けられません。また、通信三田会入会金支払拒否という人も何%かいました。
こんなやりくりの中、松田君をはじめ幹事諸君は正に手弁当で、「@お互いの消息を交換しよう。A通信教育の社会的意義を高めよう。B後輩のよい援助者になろう。」と東奔西走の苦労をされました。しかし、手弁当を当たり前とするようなこの状態では後輩に会務を手伝えと言うわけにもいかず、この方式をどこかで改革しないと雪隠詰めになることは明白です。
最初は「卒業生は全員会員である。会員は年会費を負担するものとする(ただし、現実には会費を支払わなくても会員)となっていた」。これを「卒業年以外にも年会費をいただくこととし、会員は会費を負担する(年会費も負担した塾員が会員である)。」と根本からの改革(昭和49年の全会員の会費制)が行われ、会の財務基盤は大幅に改善されました。
4.昭和年代の概観
平成11年6月12日逝去された、ミスター慶應通信こと松田信俊君は、在学中は慶友会に、連合慶友会に、卒業後は通信三田会に、まさに情熱をかたむけ、その巨大な足跡を残されました。
心の人 松田信俊(追悼誌平成12.6.1刊)によると、同君の経歴中、昭和20年3月当時の満州国で現地召集により陸軍に入隊、シベリヤ抑留を経て、昭和24年9月舞鶴に復員。この時「復員者の手引き」に大学通信教育の存在を知り、通信制大学を目指された。昭和27年4月慶應義塾経済学部(通信教育課程)に入学、10有余年の歳月を費やして昭和38年3月経済学部を卒業とあります。諸先輩数々ある中で通信三田会への貢献度としては、松田君の存在は特に群を抜きん出ていたと思います。その原点は何かと振り返って考えますと、4年2か月のシベリヤ抑留時の強制労働と罹病とで精神的にも肉体的にも並々ならぬ苦労を体験されたことがあったと思います。
戦争が終って復員してきた方々が、教職に、役所に、会社に職を持たれましたが、そこには学歴社会の壁がデンと構えていました。働きながらそれを超えてゆく唯一の扉が通信制大学でもあった。また、戦争のため勉強すらさせてもらえなかった人たちの大学教育に接しうる貴重な窓でもあったのです。
この人たちを主役とした時期があった後、家業を続ける立場で時間的に通学は困難であるが、将来のためになんとか大学だけは出ておきたいという人々が増加してきた。私たちが三田祭に参加したある年のテーマに、「世界の(大学)通信教育」というのがありました。その時、海外の大学に質問を出し回答をいただいた中で、今も記憶に残っているのは戦争中アメリカの大学では軍務に服している学生に通信教育を受けさせ、これを履修単位に認定していたことです。しかも大学間の単位認定の融通が広く、この質問への回答に接するにつけ、わが国との落差を痛感いたしました。
私が入学した昭和33年頃は、復員した方たちの大波はおおむね通りすぎた頃でした。その方たちにすれば生活のかかっている、まず大学卒業の資格を取得して壁を超えることが第一で、クラス活動とかはどうしても二番手、三番手となったとしてもやむをえなかったものと思われます。
したがって、その後の入学組から、前より少しはクラス活動に対する関心の高い人々が増えてきて、このクラス活動意識の高まりが通信三田会の再興となって現れたのかなと思います。
「人間が社会をつくり、社会が人間をつくる。」と社会学のテキストにありました。通信三田会の皮袋の中もその時代時代の社会を反映した中身にバージョンアップされて行くのですが、私の見聞する一端をご参考までに記しました。
主要活動・記念行事 一覧表(1)
年月日(和暦) |
行事名 |
場所 |
行事内容 |
1966(41)/10/1 |
幹事会でユニコン賞創設を決定 |
塾・三田通信教育事務局会議室 |
♦卒業式当日、通信教育部懇親会の席上でユニコン賞の授与を恒例行事として行う。第1回授与式を42年3月から実施する |
1968(43)/5/18 |
義塾命名100年、通信教育開設20周年記念 |
塾・三田西校舎 |
♦未組織地域通信三田会の結成促進 ♦記念集会 ♦連合三田会への積極参加 |
1969(44)/8/22 |
「通信教育を守る会」結成 |
|
♦学園紛争によるスクーリング中止に対して、塾、塾員、塾生に正常化を呼びかける |
1969(45)/3/1 |
加藤元彦通信教育事務長退職謝恩慰労会 |
東京・国際文化会館 |
♦通信教育開設以来、通信教育事務長として22年間勤務され、多くの塾員塾生に薫陶を与えられた謝恩会。 |
1973(48)/5/19 |
塾通信教育開設25周年記念 |
塾・三田西校舎 |
通信教育部の計画に参加する。 ♦記念式典、祝賀会、各地の講演会。 ♦夏期スクーリング中の卒論相談会、工場見学、ソフトボール大会、バス研修旅行、史跡めぐり |
1974(49)/8/17 |
第1回地域通信三田会代表者会議を開催 |
塾・通信教育事務局会議室 |
♦各地域通信三田会間の連携と抱える課題の話し合い |
1975(50)/4/1 |
全会員会費制の導入 |
|
♦石油危機、高度成長によるインフレの加速で会報発行費、郵送費が高騰。2年間財源確保を検討し、改革に踏み切る |
1978(53)/8/30 |
塾通信教育開設30周年記念 |
塾・三田西校舎 |
♦特別講演会「明治時代における義塾関係者の活躍」手塚豊名誉教授、「異国遍歴物語」森武之助名誉教授の講演 ♦塾員8名による記念特別講座 ♦記念パーティ ♦記念募金 |
1979(54)/2/4 |
塾通信教育開設30周年記念札幌大会(主催:札幌通信三田会、協賛:通信三田会、札幌三田会) |
札幌・札幌グランドホテル |
♦記念塾員講演会。 ♦祝賀会 佐野勝男教授、浅賀政明通信教育事務長、ほか塾員50名が参加 |
主要記念行事 一覧表(2)
年月日(和暦) |
行事名 |
場所 |
行事内容 |
1982(57)/6/24 |
松田奎吾君を励ます会 |
東京日比谷・松本楼 |
♦松田奎吾会長を第26期評議員選挙に送り出すため三浦和男教授来賓と支援塾員40名が集う |
1982(57)/8/7 |
通信三田会関西大会 |
京都・サンフラワー京都 |
♦地域通信三田会を支援して初めての関西大会 ♦松田奎吾君の支援活動 ♦澤田允茂名誉教授の「人間についての科学」講演会 |
1982(57)/11/26 |
松田奎吾君評議員当選を祝う会 |
東京新宿・京王プラザホテル |
♦松田奎吾君の26期評議員選挙に当選を祝う。 |
1983(58)/8/6 |
慶應義塾創立125周年を祝う会 |
東京新宿・京王プラザホテル |
♦塾創立125周年記念を祝う ♦記念募金 |
1984(59)/8/4 |
教職員を囲む夏の夕べ |
東京新宿・京王プラザホテル |
♦教職員を囲んで夏の夕べを都心の高楼から眺め、涼む会 |
1985(60)/3/23 |
東京渋谷・万葉会館 |
♦法学部助教授の政治学・憲法専攻で、通信教育学務委員、学習指導室副主任を歴任された先生の定年退職感謝会 |
|
1985(60)/6/29 |
黒川俊雄前通信教育部長を囲む塾員塾生の集い |
大阪・ガーデンパレス |
♦講演会「男女雇用機会均等法について」 ♦黒川先生を囲む塾員、塾生の集い |
1987(62)/8/29 |
松田奎吾前会長、小早川隆昭前副会長両君を偲ぶ会 |
東京港区・仏教伝導会館BDKセンター |
♦会の中心リーダーが続いて逝去された。会の体制を立て直し、両君の冥福を追悼する会 |
1992(04)/10/23 |
通信三田会創立40周年記念 |
東京銀座・交詢社ビル |
♦会員情報のデータベース化 ♦湘南藤沢キャンパスの緑化募金 ♦通信三田会40年史の編纂 ♦記念パーティ ♦財政健全化タスクフォース発足 |
1994(06)/10/14 |
通信塾員8000名突破祝賀パーティ |
東京銀座・交詢社ビル |
♦鳥居泰彦塾長、池田真朗通信教育部長、服部礼次郎連合三田会長ほか、100名を超える塾員が参加 |
1999(10)/10/16 |
通信教育開設50周年記念寄付 |
塾・三田 |
♦通信塾員の募金で50万円を塾に寄付 |
1999(10)/10/16 |
故元会長松田信俊君を偲ぶ会 |
横浜・かながわ労働プラザ |
♦通信三田会結成功労者、元会長の追悼会。 |
2000(12)/10/14 |
通信教育卒業者1万人突破記念 |
東京日本橋・三井本館 |
♦湯川武常任理事、塩沢修平通信教育部長、服部礼次郎連合三田会長ほか、参加塾員150名が参加 |
2002(14)/10/19 |
通信三田会創立50周年記念 |
塾三田・北館、西校舎 |
♦秋期幹事会 ♦講演会「これからの日本の大学」加藤寛名誉教授 ♦記念パーティに200名が参加 |
発刊のことば/写真集/卒業年次別塾員数/通信三田会年表/草創期の塾員活動/
通信三田会組織結成事情/歴代役員一覧表/慶應義塾と通信教育を守る会/ユニコン賞/
地域通信三田会代表者会議/通信三田会と塾評議員/あとがき・奥付/50年史トップページへ