ユニコン賞受賞者一覧(2002年以前)



「ユニコン賞」について


ユニコン賞受賞者一覧(2002年以前)
 
年(和暦)ユニコン賞氏名(学部)出身クラス(慶友会)選 考 概 要
第36回2002年(平成14年) 堀井 まゆみ 君(文)秋田慶友会会計2期、会長2期を務める。機関紙「どんどん」の発行や学習活動に貢献した。2児の母をこなして会員に意欲を沸かせた人。
 柳田 春樹 君(法)池袋慶友会6年にわたって学事委員、会計委員、編集委員、副会長、会長と歴任。中心的リーダーぶりを発揮した。
第35回2001年(平成13年) 佐藤 寿美子 君(文)慶応母親学生会副会長、会長を務めた。女性ばかりの会で閉鎖的になりがちな会を、積極的に他慶友会との交流に力を入れた。講師派遣や行事の合同開催、夏期スクーリング中には交流会にも参加している。
 中三川 厚子 君(経)慶応母親学生会看護学校の教員で激務の中2度会長を務める。会の運営上の各種見直しをして貢献した。会計システムや名簿管理などを合理化した。発足15周年記念のパーティも開催した。
 小林 玲子 君(法)熊本慶友会書紀、会計、会長を歴任。他慶友会や三田会との合同講師派遣、学習活動を推進した。
 辻 昭彦 君(経)横浜慶友会文学部、経済学部を卒業。現在は法学部に在籍中。長年役員として学習活動に尽力した。
 中島 由美子 君(法)群馬慶友会会が乱れたとき自ら立候補して会長になり、規約の整備、定例会・学習会を平常に戻して本来の場所を再建した。第2回世紀送迎演説会で通信教育生としては唯一の弁士を務めた。
 熊谷 元広 君(法)宮城慶友会8年間会長として機関紙「並木路」の発行、学習会、講師派遣、東北地域の合同講師派遣と幅広く活躍した。
特別賞斎藤 静代 君(文) 80歳で卒業を果した。都立三田高校の定時制を経て昭和59年正科生となり16年かけてついに卒業した。
感謝状高谷 雅代 君(文)千葉慶友会千葉慶友会だけでなく、幅広く他慶友会と交流し融和を図った。
第34回2000年(平成12年) 東海林 徹 君(経)横浜慶友会会計監査、企画幹事を務め、特に学習活動を積極的に行い会の学力向上に貢献した。卒業時には卒業準備委員会の副代表としても活躍した。
 大野 真理子 君(文)慶應母親学生会会長として夏期スクーリング時保育課題を改善した。これまでは保育学校の生徒たちだけであった子供たちに、新しくボランティア団体や塾児童文化研究会の協力を実現した。
 福田 幸雄 君(文)長崎慶友会会長、副会長を歴任。地域ではPTA会長や町会長も兼ねた精力的活動は会を活性化させた。卒業後は三田会の事務局長としても活躍している。
 伊藤 紀子 君(文)滋賀慶友会10年にわたって会長、副会長、会計、庶務を歴任した。この間他慶友会との交流に尽力してその数を2倍にまで広げた。
第33回1999年(平成11年) 一瀬 渓子 君(経)長崎慶友会文学部に次いで2度目の卒業。会長、副会長、機関紙「ステンドグラス」の編集、会計も担当した。前回の卒業以来長崎通信三田会の発足準備委員として呼びかけ人となり、機関紙「出島」の発行にも貢献した。
 八阪 純子 君(文)大阪慶友会会計、副会長、会長と4期歴任。学習活動に活躍した。
 高原 弘美 君(文)慶應母親学生会全国規模のクラスである。副会長、会長を務めた。夏期スクーリングでは保育の計画と運営、保育の会計管理 など明朗会計を確立した。
 高津 直子 君(文)慶應母親学生会地域会のリーダーとして交流を図る。高原君の後継会長を務め、組織改革を行った。退任後も機関紙「ふれあい」の編集と学習活動に尽くす。
 相本 清高 君(文)山口慶友会山口で会長を務め、学習活動に力を注いだ。その後広島に加入、副会長、会長を歴任する。その傍ら山口の活動にも協力し両会の発展に尽くした。
第32回1998年(平成10年) 該当者なし  
第31回1997年(平成9年) 高橋 健二郎 君(経)三重慶友会副会長、会長を務める。地域が散在するうえ県外者も多く、例会の学習活動には苦労したがいつもリーダーとして牽引役を果した。
 川内 曜子 君(文) 札幌慶友会 
 藤本 一美 君(文)讃岐慶友会 
奨励賞中村 栄美 君(文)熊本慶友会 
第30回1996年(平成8年) 武内 英一 君(経)秋田慶友会法学部に次いで2度目の卒業。10年間会長として会活性化に務めてきた。
 大土 芳紀 君(文)三田クラス事務局長、運営委員、会計を歴任。関東地区の合同講演会開催や三田祭の運営にも努力した。
 吉岡 康彦 君(法)広島慶友会江田島海上自衛隊の教官。学習担当や会長を4期務め、会を先導した。
 宮川 貞雄 君(法)熊本慶友会県青年会館の常務理事兼事務局長の経験を生かし、入学と同時に入会し活動を開始。学習活動を先導した。会長を務め、卒業後は三田会活動にも精を出す。
第29回1995年(平成7年) 大原 三枝子 君(文)徳島慶友会副会長、会長、会計と9年間会の中心として活躍した。機関紙「コーヒーブレイク」の発行、各種試験の行事を精力的に実行した。
 清水 みどり 君(文)鹿児島慶友会看護学校で指導する職務。会長を2期務め、機関紙「さくらじま」の発行、学習活動でミニ講演会をして会を先導した。
 寺沢 直子 君(文)八戸慶友会会計、機関紙「エイトドアーズ」の編集、会長を務める。夏期スクーリング時オリンピック青少年センターで学生代表も務めた。会から4名の卒業生を出したのはその成果と言えよう。
 萩原 良治 君(文)松本慶友会会を再建。5年間中心となって機関紙「信濃路」の発行や学習活動を支えた。
第28回1994年(平成6年) 沖 隆志 君(法)秋田慶友会入学時の11月に副会長に選任されるや翌年休んだだけで合計4年にわたって副会長を務める。精力的に例会や学習活動を展開しクラスの柱として活躍した。
 矢沢 明子 君(文)松本慶友会副会長、会長と5期にわたって会の基礎を確立した。
 坂本 京子 君(文)栃木慶友会会長2期機関紙「華厳」と自主学習活動を充実させた。女性で作るアルテリーベ(子持ちシスターズ)の代表として会員の半数以上の女性を牽引した。
 梶川 光 君(文)広島慶友会会長、書紀、副会長、会計監査、会長、顧問を歴任して会を長い間リードした。
第27回1993年(平成5年) 渡辺 司 君(文)慶應通信文学会当初は三田クラスで会長として活躍したが、63年文学部卒論研究会を結成。この会を慶應通信文学会として主催してきた。他校の学位を2つも得ている勉強家。
 小木 基 君(経)札幌慶友会機関紙「みるくめーる」の編集を担当し、投稿中心のスタイルを定着させた。気軽に入会できる仲間作りに徹した。副会長を2回も務めた。
 柏倉 健作 君(法)武蔵野慶友会多摩クラスにも属し、企画担当として美学美術研究会で異色な企画で評判を博した。武蔵野の副会長、機関紙編集にも携わる。
 平川 千文 君(文)多摩慶友会書紀、会長として学習活動に寄与した。卒業準備副委員長として活躍した。
特別功労賞守田 美智子 君(文)三田クラス三田クラスの再建をして会長を務める。新入生の組織化、講演会旅行などの企画で精力的に会作りに尽くした。
第26回1992年(平成4年) 鈴木 彰 君(文)徳島慶友会海外出張で最初の頃は活動できなかったが、得意の英語を学習会で仲間の応援をしたことから副会長を務めた。隣県の慶友会と合同の講師派遣を実現した。
 森 敏行 君(法)福島慶友会福島県の東部いわき支部長で、例会を学習活動で盛り上げた。
 近藤 正 君(法)栃木慶友会中学の同僚が会長のとき入会した。2期会長を経験。機関紙「華厳」の発行と例会で会を活発化した。新入会員も増えて大変盛り上がった。
 竹内 昭太郎 君(経)札幌慶友会還暦の記念で入学し、年功を生かして「慶友会だより」を1年、次の年は機関紙「ミルクメール」を編集。副会長も歴任した。
 田沼 千鶴子 君(文)武蔵野慶友会機関紙の編集と学習活動で仲間作りをした。豊島クラスにも入っていて幅広く活動した。
第25回1991年(平成3年) 中村 淳子 君(文)宮城慶友会機関紙「並木路」編集長、会長を経験。三田会との連携も図り先輩との交流を続けた。
 伏屋 重晴 君(経)愛知クラス49年文学部入学以来、経済学部、法学部と3学部の卒業を果した。この間副会長2期、会長1期を務め、会を先導した。機関紙「フィロソフィア」の発行も手がけた。
 和田 恵子 君(文)石川慶友会会計、会長を務める。自宅を例会に提供するなど会の発展に尽くした。そして上京してからも東京武蔵野クラスの会計を歴任するなどの活躍をした。
 高木 憲章 君(法)豊島クラス副会長、会長を3期務める。その後家庭の事情で帰郷したが、しばしば上京して仲間と交流し卒業を獲得した。
第24回1990年(平成2年) 高橋  泰介 君(経)ポニークラス企画、会長を経験。学習・リクリエーション・スポーツと積極的に取り組んで会を盛り上げた。関東ブロックにも会計として寄与した。会の野球部を主催し各地で試合をした。
 大河内 博子 君(文)三重慶友会三重慶友会を結成。会計、副会長、会長としてバイタリティのある活動を続けてきた。
 粂野 博行 君(経)茨城慶友会会長2を期務めた。特に学習活動で精力的に活動し、第1回関東ブロックの講演会や自主シンポジュームなど他慶友会にも影響を与えた。もえぎ・群馬・栃木の慶友会からも推薦が寄せられた。
第23回1989年(平成元年) 瀬戸田 誠 君(経)福山慶友会20年かけて卒業。仕事で転勤や出張が多く各地のクラスに参加して活動した精力家。地元では尊敬の念を持たれて後輩から頼りにされた会長だった。
第22回1988年(昭和63年) 斎藤 典芳 君(文)秋田慶友会例会は欠かさず2時間以上かけてバイクで通った。会の牽引車的役割を果した。
 福田 志緒 君(文)青森慶友会会報「青林檎」を手書きで創刊から卒業時まで発行しつづけた。会員間の融和を図って信頼が厚かった人。
第21回1987年(昭和62年) 馬渕 一義 君(文)栃木慶友会機関紙編集2年、会長1年、学習会など後輩の相談役として活躍した。
 江田 博 君(文)豊島クラス学習活動の中心的存在。
 立石 昭二 君(文)福岡慶友会転勤が多く卒業まで12年かかった。最初は熊本慶友会で活動、次に福岡。会長を経験。九州ブロックのゼミを開催など楽しかった思い出ばかりと言う。
第20回1986年(昭和61年) 中尾 洋一 君(文)広島慶友会副会長、会長、卒業準備副委員長を経験。会活性化に尽力し、精力的活動が評価された。
第19回1985年(昭和60年) 三重野 雅則 君(法)大分慶友会幅広い行動力から複数慶友会の推薦も受けた実績が買われた。
 木吉 祐子 君(文)広島慶友会着実な実績が、他の候補に一歩優れていた。
第18回1984年(昭和59年) 金井 繁行 君(法)群馬慶友会会計、群慶ニュース編集、副会長、会長と骨身惜しまず会発展に尽くした。会活動を楽しみつつ学習活動も着実に成果を挙げた。
第17回1983年(昭和58年) 木村 徳夫 君(法)豊島クラス機関紙「ともしび」の編集、会長として指導的役割を果たした。
 木田 孝雄 君(法)多摩クラス会長2期、法学・民法ゼミを発足、退任後も後輩の指導者として会発展に尽くした。卒業準備委員長も務めた。
 内野 智典 君(文)福岡慶友会副会長、九州ブロック副委員長として地区慶友会の円滑な活動に寄与した。卒業年次には会の機関紙「つくし通信」の編集も手がけていた。
第16回1982年(昭和57年) 古郡 芳枝 君(文)横浜慶友会学習活動で会員の刺激剤になった。
 加賀 豊 君(文)道南慶友会会長として会を活発にした。
第15回1981年(昭和56年) 高田 盛行 君(文)和歌山慶友会会長、副会長6年間務めた。50・51年夏期スクーリングには学生大会実行委員会議長を2度も務めた。
 諏訪部 博道 君(法)横浜慶友会機関紙編集長、会長、合同ゼミ実行委員長を歴任。特にゼミを講師派遣と質疑応答型から全員の発表と討論、講師にアドバイスを受ける方式に転換したことが特筆される。
第14回1980年(昭和55年) 黒田 厚之 君(文)大阪慶友会健康上の理由から15年かけて卒業した。機関紙編集長、副会長、各種行事の実行委員長を経験して後輩の指導に力を発揮した。苦難を克服して福を掴んだ人。
 林 孝子 君(文)和歌山慶友会療養後のため役員は固辞したが、学習活動や会行事の中心となって積極的に活躍した。
第13回1979年(昭和54年) 都留  伴一 君(法)熊本慶友会副会長、会長と2期にわたって機関紙や「もっこす」文集の作成、学習活動に新風を吹き込み会の基礎を築いた。また、九州ブロックの委員長も務めた。
 後藤 富士夫 君(経)横浜慶友会機関紙編集、会長2期、合同ゼミ委員長を務め、親睦から学習活動、スポーツ、遊びの活発な会にした。
 石井 要吉 君(法)武蔵野慶友会企画委員、会長2期、卒業準備委員長などを経験。学習活動を中心に会を発展させた。
第12回1978年(昭和53年) 該当者なし  
第11回1977年(昭和52年) 該当者なし  
第10回1976年(昭和51年) 新木 敬司 君(法)群馬慶友会法学部長、会報編集長、副会長、会長として先導した。また、三田会との連携にも尽力したことが評価された。
第9回1975年(昭和50年) 小野木 和枝 君(文)埼玉慶友会機関紙編集、会計、大宮副支部長を歴任しながら、学習・スポーツ面で貢献した。
第8回1974年(昭和49年) 奥田 輝男 君(法)大牟田慶友会副会長1期、会長2期、書紀兼会計各1期、九州地区ゼミ委員として幅広く長く活躍したことが、他の9人の候補より評価された。
第7回1973年(昭和48年) 山岡 恒夫 君(法)茨城慶友会実行委員、会長、会計監査など中心となって活躍。通信教育自治会常務委員として中央執行委員会設立に尽力した。
 武田 和之 君(文)宮城慶友会編集委員として機関紙「宮城慶友」に視聴覚8ミリ映画を採用して特徴あるものにした。渉外委員、会計監査役としても活躍した。
第6回1972年(昭和47年) 高田 勉 君(経)福岡慶友会41年から2年会長として中断していたクラスを再建した。44年上京して自治会委員長となったが学園紛争で辞任。以後三田クラスを立ち上げ他クラスと連携し先導役を果した。
第5回1971年(昭和46年) 大治 脩 君(経)呉慶友会会計委員2年、代表委員として、会の縁の下役に
評価が集まった。
第4回1970年(昭和45年) 戸田 純子 君(文)ポニークラス学習活動で中心的存在として長年活躍した。
第3回1969年(昭和44年) 小武家 芳郎 君(法)広島慶友会 
第2回1968年(昭和43年) 工藤 陽子 君(文)徳島慶友会病気療養で高校・大学を通信教育の生活。
副会長、会誌編集で機関車的役割を果した。
頼りになるお姉さん的存在と言われた。
第1回1967年(昭和42年) 須田 敏夫 君(法)栃木慶友会昭和38〜39年の会長、ニュース等発行で学習、
親睦と会の基盤作りに貢献した。



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